2009年2月15日(日)
マリー・ルイーズの「明治における弦斎料理とフランス料理の時代考査」
食の大切さを伝える 「第4回 かながわ食育サミット in ひらつか」 「広報ひらつか」でも紹介
明治時代における村井弦斎とフランス料理の時代考査パネル展
村井弦斎「食道楽」著書、各フランス料理著書、時代考査年表を元に・・・、復刻料理各種
年表をもとに和やかに進行。皆さん質問も多くとても熱心でした。大礒プリンスホテル総料理長の浅野氏も最後までお付合いくださいました。
可愛い生徒さんもとても熱心でした。県議の赤井さんも応援に…。スタッフは後で試食の盛りつけに大忙し。
2階と4階の展示場は盛りだくさん。下は食生活推進団体の地場野菜の可愛い展示物。
講習内容



No.147
講習を終えて・・・

 20年位前「サーフ’90」というイベント絡みで、初めて村井弦斎の「食道楽」を読んで感じたことは、明治の時代にこんな料理があった
のか?…ではなく、あれっ?これ10代の頃、修業時代に読んでいた料理書とほとんど同じではないか!…という驚きのほうが強かった。
 その内容は、明治時代の文体で、現代の私たちには解り難いところが多いが、レシピ等をゆっくり読むと、昔読んだ料理書の内容と
殆んど一致している。
 でも、それは至極当然な事で、弦斎と日本の西洋料理界、そして本土フランスの料理界とを時系列的にまとめてみば明らかな事だった

 「食道楽」が出版された明治36年の日本の洋食界は、「時代考査年表」をご覧の通り、既にその時代、そう々たるホテルが建ち並び、
多くの著名な料理人の方々が活躍をしている。
 主だったところでも、明治5年には築地・精養軒が、11年に箱根・富士屋ホテル、函館・五嶋軒・・・等々。
井上馨ら明治政府によって建てられた鹿鳴館も15年に。(27年には華族会館に払い下げられている)
 明治23年には麹町に帝国ホテルが建ち、その歴代の料理人たちには、内海藤太郎。その弟子達には田中徳三郎、荒田勇作らの名も。
この方たちこそ10代の頃に読んでいた料理書の著者でした。

 料理界だけではない、その魅力ある時代背景を考査しながら調べていくと、維新に活躍した志士たちも「食道楽」の中に多く絡んでくる。
男子なら一度ははまったことがあると思う「幕末から維新を挟んだ明治」という時代背景が、より一層この「食道楽」を楽しまさせてくれる。
 
 著者である弦斎の妻、多嘉子夫人は、父が大隈重信のいとこで、後藤象二郎夫人、三菱の岩崎弥太郎も親戚筋にいる、明治のエリート
一族というところから興味を
う。
 「食道楽」を報知に連載しはじめてから2、3回の頃、大隈重信が、「あれではいけない。わしのコックを貸してやるから、もっといい料理を書け」
と、1ヶ月くらいコックさんをよこされたそうだ。その後アメリカ大使夫人に長く仕えた加藤枡太郎を見つけ、毎日毎日、西洋料理を試食をしたと、
娘の米子さんが著している。(村井米子編訳「食道楽」(新人物往来社)昭和51年刊行)

 「食道楽」秋の巻・76頁・第203料理見物という項には、多年の老練家、名の知れぬ熱心家な料理人達に料理を頼み、競技会でも開いたら、
…と、華族会館の渡辺、以前帝国ホテルにいた吉田、外務省の宇野、英国公使館の籠谷、精養軒の外山、大隈家の伊籐、露国公使館の
秋山、…等々の名を上げている。渡辺鎌吉や、天皇の料理番・秋山徳蔵の名が出ているとは驚きだ。
それにしても、既に「 料理の鉄人」もどきの事を考えていたとは・・・。

 父の参考書の中に、分厚なボストンのクッキング年鑑(1900年版)があった。と、娘の米子さんが著している。
これも調べていくうちに、アメリカのファニー・ファーマー(1857年〜1915年)という料理人に行き着いた。1849のレシピが含まれる有名な本
『ボストン・クッキングスクール・クックブック』であることは間違いない。二十歳でアメリカに一年間滞在した時に出会い、知ったのかもしれない。

 食材も、明治19年(1885)明治屋が創業している。当時の輸入食材を見ても驚く。
レッドキャベツ、ホワイトオニオン、きゃんどみーと、ちーず、まかろにー、ばた、かふひー、ルシアンカビア、ますたーど、ハム、ベーコン、らーど、
ケーパー、びねがー、なちゅらるみねらるおーたー、アスパラガスアンチョビ・ジクビーチック、ロブスターオイスターヘドック、ふるーついんしるっぷ
・アプリコット、ブラックベリー、チェリーブラック・・・
 ワインに至っては、セントエミリオン、CH・マーゴー4.5円、CH・ムートンロスチャイルド3円、ラフィット28円、CH・ユケム、チャンベルチン、シャブリ
…と、またまた驚く。
 創業者・磯野計は、三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎の援助を受け渡航、日本郵船の力を借り輸入、そして明治屋へと…。これも歴史上の
人物との関りが面白い。(『初代総料理長サリー・ワイル』神山典士著・講談社より)

 「食道楽」は、さすがの弦斎も大変だったらしく、食道楽序文の中で、
「・・・然れど、小説中に料理法を点綴するは、その一致せざること懐石料理に牛豚の肉を盛るが如し、厨人の労苦尋常に超え・・・」と、
その大変さを語っています。
 しかし弦斎の「誰にでもわかるようにやさしく書く・・・」という主義が全編に貫かれ、小説として面白いこともさることながら、和漢洋の料理が
プロはだしで並べられ、さながら料理と食生活の小辞典の感がある。しかも料理法も食物の原理も今に通じるもので、決して古いとは言えない
のだから、わが父ながらよく調べとものと思う。と、娘の米子さんが記している。

 今回の考査で興味深かったのは、
弦斎の唱えた、
小児には、徳育よりも知育よりも、、体育よりも、食育が先き。知育の根源も体育の根源も食育にある』という一節はとても有名ですが、
我々フランス料理人達のバイブルともいえるエスコフィエも、
家庭向け料理書「MA CUISINE」の序文の中で、
・・・おいしくて健康に適した料理は、いかにそれが簡単な料理であっても、円満な家庭を作るということを忘れてはならない』と
著している。
 日本の弦斎、フランスのエスコフィエ。自分の調べている二人が、同時代に、同じように食育に繋がることを危惧していたことが、
とても興味深かった。

 食育や美食を追い求める様々な取り組み…。一生懸命調べたり、推進することも大事だが、ただひとつ忘れたり、無視してならないのは、
その当時の
農村部では、売物にならないクズ米、丸麦・押麦混の麦飯、野菜・芋・雑穀混のかて飯、…等々、農民達の食事は、まだまだ貧しい
ものだったという事を・・・。

 

明治時代における村井弦斎とフランス料理の時代考査パネル展

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