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サライ4号(2008年2月発売)

2009年1月12日成人の日
TBSドラマ…城山三郎さんの遺稿、 『そうか、もう君はいないのか』が、
ついに放映日決定!
TBS公式番組サイトは←コチラ
  昨年「2月の日記」の中でもお伝えした、城山さんの遺稿 『そうか、もう君はいないのか』が、
ドラマ化 されることになったんです。
  放映日は、2009年1月12日成人の日TBSテレビ・ドラマスペシャル、よる9時からに決定!
 ( 詳しい情報は、コチラから→ TBS最新

何と主役は、田村正和さん(城山さん役)。奥様の役は富司純子さん。

出会った頃のお二人の役を中村勘太郎さんと長澤まさみさん。

そしてそして、ドラマの中のワンシーンで、「マリールイーズ」での食事風景が
使われることに!

マダムの役は、キムラ緑子さん。シェフ役は橋爪功さんが・・・。
                  (ドラマの中で、シェフの名前は「武田」となっていました)

ちなみに、息子の有一さんの役は田中哲司さん。
娘の紀子さんの役は、壇れいさんが演じるそうです。

そうか、もう君はいないのか』の文中 (115頁)・・・

     先日の撮影風景↓。日が暮れて、お二人がマリールイーズに来店されるシーンの外観だけ撮りに来られ
    ました。
     ドラマ撮影は、入口から店内までスタジオにセットを造り撮影したそうです。
    店内は大分デフォルメされているそうですが、そこかしこにマリーの雰囲気が残ってるかも・・・。
    どんなシーンで、どんなやり取りがなされるのか・・・? 楽しみです。
   
懐かしい「前マリー・ルイーズ」が映像として残る・・・。
「空の上の仲良し三人」から、素敵なプレゼントだと思っています。

(詳しくは以前の日記で→

@たくさんのお言葉を・・・

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☆  ☆  ☆


    

たっぷりと・・・「そうか、・・・」

 当初、自分の店がワンシーンとしてでもドラマに使われると喜び、城山さんや奥様と、
ドラマの中で逢える…。
シェフ役、マダム役も一流の役者さんが演じてくれる…と、とても楽しみにしていました。

 ところが放送日が近づくにつれ、何だか妙な気分になり、不安というか、寂しさというか…、
当日の放送直前には見るのを躊躇しそうな気持ちも出てきて…。
案の定、ドラマが始り10分後にはティッシュボックスを小脇に抱えている有様。

 当時の城山さんご夫妻を思い出したのは勿論、奥様容子さんの亡くなられた二年半後に
他界したマダムの事とだぶり、三人のやりとりが昨日のことのように思い出され、
フラッシュバックというか、当時の事が走馬灯のように蘇り…。

 2000年2月に奥様の容子さん、2002年10月にマダム、そして2007年3月に
城山さんが亡くなり、あのドラマの中で残っているのは、自分ただ一人。
 
 本のタイトルではないけれど、もう三人ともいない…。
当時の事、思い出を語り合える人が誰もいない…。
 やはり寂しさとともに喪失感、虚無感がドラマが進むにつれ押し寄せてきた。
何で、どうでもいいのが最後に残されるのだろう…と。

 当時の奥さまは、病気とは縁のなさそうなくらい元気で、明るくて、そして、若造が失礼な
言い方だが、お茶目でとてもチャーミングな方でした。

 ある日の食事のこと。食事が終わりお帰りの際に、マダムが奥様へ「はじけるバブ」という
当時流行っていた入浴剤を差し上げると言い出し、
俺が「そんな子供だましみたいな物あげるなんて、失礼だよ」とたしなめると、
奥様は、「いいのよいいのよ。あら、楽しそうね、頂いていくわ」と快く受け取って下さった。
 その一時間ほど後、奥様から電話があり、
「今ね、パチパチいってるの。とてもおもしろいわ!ありがとう!」と、
子供のようにはしゃいだ声で電話がかかってきました。

 気さくで、天真爛漫な奥様と、あっけらかんとしたマダムの姿が、昨日のことのように思い
出された。
城山さんが「君たちの脳は、シワがなくツルっとしてるんだな。僕のシワの数とは…」といって
二人をからかっている姿も…。

 俺が24、5才の頃、初めての出会いは、27、8年も前になる。
取材等で少し間が開くこともあっても、ひと月かふた月にいっぺんは必ずお食事にみえていた
お二人が、1999年5月6日にいらしてから半年以上おみえにならなくなり、
「どうしたのかね」と、マダムと心配していると、年が明けた2月24日、悲しい訃報を聞か
された。
あの元気な奥様が…、信じられなかった。

 告別式の翌日2月27日、城山さんと有一さんがお店に来て下さり、
有一さんは、「今日は母も一緒に連れてきました。いいですか?」と言って
上着のポケットからお母様の写真を取り出すと、テーブルの上に置かれ、
「今日は母も一緒に連れてきました…」
「母は、父といつもこのテーブルで食事をしていたんですよね」と、
城山さんとお二人で、いや、三人で何かを噛みしめるかのように食事をされていかれた。
 有一さんはこのあとすぐに海外の支局に戻らなければならなかったので、私たちへのお礼も
兼ね、ご両親お二人のいつも行っていたところに来たかったのだろう。

 城山さんは、お一人になられてから来店の回数もめっきり減ってしまったが、たまに出版社
の方と来られる度に、日毎にお痩せになられるのを心配したマダムが、
「毎日ちゃんと食事は召し上がってるんですか!」などと、あっけらかんと訊ねると、
「大丈夫だよ。でも今まで食べた事がなかったけど、コンビニのお弁当も色々種類が入っいて
栄養バランスは良さそうだね。」などと、にこやかにお話しされていたのが想い出される。
 この当時の城山さんは、紀子さんが言われていたように反身を削がれたような、ドラマの
最後の時と同じように、何か抜け殻のような感さえあった。

 2002年10月23日、マダムも四年半の闘病の末、他界。
葬儀に参列して下さった城山さんは、
「知らなかった。大変だったね…」と、私を慰めて下り、いつもお店に来店されるときの
ように、新刊で出された「この命、なにをあくせく」を家内に手向けて下さり、目にいっぱい
の涙をためながら手を合を合わせて下さった。

 城山さんは来店の際、新刊を出される度に一筆一言添え書きされたサイン入りの本を持参
して来て下さった。
 いつも茅ヶ崎から電車で平塚に来られるのだが、奥様によると、
「マリー・ルイーズに伺う前に、駅ビルの中にある書店に立ち寄って、いつも自分で自分の
本を買って差し上げてるのよ。本なら出版社にいえばいくらでも持って来てくれるのに、
変ってるでしょ」と、おっしゃっていた。

 マダムが他界したその年のクリスマス。城山さんは、紀子さんご夫婦とお孫さんとの
ご家族四人で食事に来て下さった。
 その席で俺は、
「妻の事を本にしたくて…、私以外、誰にも病のことを明かさずに逝ってしまった妻の事を、
彼女の記録を残したいんです…」と話すと、
「そうか…、でも、あせらずゆっくりやりなさい」と言われ、
その後その言葉の意味を噛みしめながら、四年半の闘病中に書き記していた日記をもとに悶悶
とした中で書いていると、明けて2003年2月12日、出版社の方を連れてきて下さり、
出版に関する資料と共に、これからの事を出版社の方に頼んで下さった。
忘れずにちゃんと覚えていてくれたのです

 いろいろあったのだが、それから一年半後、やっとマダムの本が出来上がると、ゲラを読
んで、出版に際して温かいお言葉を添えて下さった。
マダムに捧げるプレゼントの最後に、素敵なリボンをかけて頂いたようで、とても嬉しかった。

 2004年6月、読まれたゲラを城山さんがお店までわざわざ返しに来て下さったその時の
会話で、食事をしながら城山さんは、
「これはどのくらいで書いたんだい?」と尋ねてきた。
「一年半位なんですけど、いろいろあって実際集中して書いたのは半年くらいです」と言うと、
「そうなんだよなぁ、こういう事は気持ちが熱いうちでないと中々書けるものではないんだ…」と、
名前は忘れてしまったが、同じように奥様を亡くされた作家の方が出された本の事を例に出され、
「でも、よく書いたね」と褒めて下さった。
 それでも、ゲラを読まれた際に、「これは誰に見せたいんだい?」とおっしゃた言葉が今でも
気にかかっている。
「かたつむり…」の、その内容があまりに赤裸々過ぎたせいかもしれない。

 何で城山さんは奥様の事を書かないんだろう…と、まだマダムが元気な頃、いつもの調子で
彼女が尋ねたことがあった。
「いろいろな出版社から言われているんだけどねぇ…」と、言葉を濁されていた。
 その時は、城山さんの本ならたくさんの人が見たいはずなのに…、と思っていたが、
ご自身の中では相当な葛藤があったのだなと、今になって思う。

 「そうか、もう君はいないのか」の、紀子さんのあとがきの中で、
「…客観的に振り返れるまでは書くものではないし、書けないものだ…」、
と、城山さんがおっしゃっていたのを知り、複雑な気持ちになった。
 
 書きたいから書く、書けるから書くではなく、どう伴侶の事をとらえ、そして自分自身と向き
合うのか…。
ただただ自分が立ち直りたい、前へ進みたい…勢いと懺悔の気持ちだけで書いた俺には、重く、
そして染入る言葉だった。
 2007年に頂いた年賀状に、また伺いますと書かれていたので、近々おみえになるのだろう
と楽しみにしていたのに…。
 いろいろお伺いしたかった、いろいろお話がしたかった、訃報を聞いた時、
みんないなくなってしまった…、そんな思いのほうが強かった。

 それでも、残っているもの、生きているものは、現実と向き合わなければならない…。
城山さんも、奥様も、そしてマダムも、すべてが終わる寸前まで、現実と向き合い、
闘っていたのだから。
 
 今回のドラマの時期も、何か見えない力が働いているように思えてならない。
マダムが他界してから6年、賃貸契約やら様々な問題が出はじめたこともあり、24年間続けた
思い出深い「マリー・ルイーズ」を閉店、移転かと考え悩み始めた2007年暮、サライ(小学館)
の取材で
「城山三郎夫妻がこよなく愛したフランス料理店」という題材で取材が入り、
続けて城山さんの遺稿
「そうか、もう君はいないのか」が出版され、そのご本の中でもマリー・ルイーズの事を取り
上げて下さり、そして今回のドラマの話。

 なくなってしまう旧マリー・ルイーズを惜しむかのように、そして城山さんや奥様に、
何か「頑張りなさい」と後押しをして頂いているような気にさえなった。
 少しネガティブ思考になっていた気持ちが、感謝の気持ちと共に、やってやるぞと前向きに
変わってきたのもこの頃だ。
 これは、絶対に「空の上の仲良し三人」が、何か形に残そうと画策したに違いないと確信した。

 旧マリー・ルイーズは8月をもって営業を終わり、9月1日から解体作業に入る予定だったが、
ドラマのクランクインが9月1日からとの連絡があり、
今回の玄関シーンの撮影も「9月4日に撮影したいのでそれまでは…」ということで、玄関部分
だけ解体を待って貰うことになった。
あと二,三日遅れただけで今回の撮影はできなかったかもしれない。

 レストランシーンでは、デフォルメはされているもののそこかしこにマリー・ルイーズの面影
を残してあったので、とても嬉しかった。
 少しこじんまりとしていたがグリーンのタイルカウンターやランプ、格子枠のドア、
磨りガラスの仕切り、そしてドアが開く時の「カラーン、カラーン」という鈴の音は、
マリー・ルイーズそのものだ。
 何より、俳優の方たちの好演が印象深く、いつまでも心に残るものとなった。

 最愛の伴侶との別れ。とても重く、大切なテーマだった今回のドラマ。
俺のところにも、多くの方たちから連絡を頂きました。とても良かったドラマだと。
 
 ここで改めてお礼を申し上げます。
素敵な思い出をありがとうございます。
これから、あのドラマは私の大切な宝物になるでしょう。
TBSのドラマ関係者の方々、本当にありがとうございました。

 そして、事あるごとに「マリー・ルイーズ」を応援して下さる、紀子さん。有一さん。
いつもありがとうございます。


フランス料理「マリー・ルイーズ」店主 尾鷲 幸男   尾鷲





マダムの分まで頑張って生きますよ!


「かたつむりにのって」
 2003年5月、参院個人情報保護特別委で参考人として意見を述べる城山さん


2000年2月、奥様がご病気で他界された。 そして2002年。今度はマダムが他界した。
いつも穏やかな城山さん、この頃の激しく批判する姿より、日々お痩せになっていく姿が心配だった…

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